ルイジ・ギッリ、残された記憶? 〜「そこにある、時間」@原美術館〜
久々に、心揺り動かされる写真に出会った。イタリアの写真家ルイジ・ギッリ(Luigi Ghirri、1943-1992)の作品。
原美術館で行われたドイツ銀行コレクション展で、偶然見かけたのだけど
1枚の写真を見つめているだけで、様々な物語を想像させる、何とも言えない、ノスタルジックな気分をかきたてられます。
引用:Contemporary Art Daily
http://www.contemporaryartdaily.com/2013/04/luigi-ghirri-at-matthew-marks/37070_01/
ルイジ・ギッリは、ヨーロッパの芸術写真において”カラー写真のパイオニア”とされており、アメリカにおけるウィリアム・エグルストンの様な位置にいるとの事。
エグルストンといえば、「モノクロ写真=アート」「カラー写真=広告」とされていた当時の前提を覆し、カラー写真の新たな可能性を提示したと言われています。
引用:Art it (http://www.art-it.asia/u/HaraMuseum/46sLvDXgHutOmrJSlx9q)
ウィリアム エグルストン 「パリ」 2006–2008年
© 2009 Eggleston Artistic Trust, Memphis
『写真講義』(2014、みすず書房)では、ギッリが1989〜90年にかけて、学校で行った写真講義の内容をまとめているらしい。
引用:Luigi Ghirri | 01 Magazine
私自身、写真の作品は、正直「理解をしよう」ましてや「語ろう」とすると、とっても難しい、、、と思っている。
技術的な事、理論的な事、歴史にしても複雑で、きちんと体型立てて見られるのは、自分が写真を撮る側にならない限り、一生できない事なのかな、、、と思ってしまう程。
1つ思うギモンは、こんなにカメラが普及している時代、、決定的に「写真家」と見なされる何かって、何だろう、、、?!という事。
それは"どこまで「写真」の可能性を客観的に考え、真摯に「写真」そのものを追求し
ているか”な気がする。
今はInstagramが流行っている時代。誰でもパシャッと、何でも撮れちゃうし、みんな結構上手に見える。
写真を記録や思い出として残すのか、広告とするのか、作品なのか、、、。
写真という”物体”は残っても、そこに残る記憶は撮影した人にしかわからない。
逆に、写真を見ただけで様々な憶測が飛び交う。もしかすると、そこに写っているのは
ボードリヤールの言う、「シミュラークルの世界」かもしれない。
写真って面白い。
『写真講義』では、ギッリの追求した「写真」が語られているそう。
ぜひ読んでみたいな♪ と、思っている今日この頃です。